東京法曹会とは

東京法曹会の歴史

東京法曹会のあらまし

 東京法曹会は昭和8年に創立された東京弁護士会内の一会派です。平成20年4月時点における会員数は約620名に達しております。この会員数は弁護士会内の単一会派としては日本一であり、単位会と比較しても、東京三会、大阪、名古屋、福岡、横浜の次に位置します。司法試験合格者数の増大に伴い、毎年多数の入会者を迎えております。

 東京法曹会は二一会、法曹大同会とともに法曹親和会を構成し、多くの活動をともにしています。法曹親和会は東京弁護士会においては、法友会と並んで二大勢力となっており、過去多数の日弁連会長、東弁会長を擁立してきました。 また東京法曹会は、ほぼ例年東弁に会長または副会長を送り、東弁の会務を一貫して支えてきました。

 東京法曹会の目的は必ずしも明らかではありませんが、過去には役員選挙のために団結するという色彩が強かったように思われます。ところが時代の変化とともにこの色彩がうすれ、現在では研修と親睦が二大テーマになっているように思われます。会費の支払いのみは義務付けられていますが、その他はほとんど自由であり、入会も退会も一切の制約なしということになっております。

 弁護士という職業に従事していると、この職業の性質上自分だけの世界にこもりがちになります。ともに勉学に励み、楽しく語らえる友人との出会いの場が提供されることが東京法曹会の最大の魅力といってよいでしょう。

東京法曹会の歴史

 昭和7年から8年にかけ、当時の東京弁護士会内の中央会、法曹研究会、法友会、法曹連盟という4つの中小会派が大同団結して東京法曹会が結成されました。当時の原始会員は約150名でした。したがって、東京法曹会は平成19年には誕生から75年目のイベントを実施しました。平成24年には栄えある80周年を迎えます。

 東京法曹会の結成の趣旨と目的については、古い文献からうかがえるところでは、いたずらな選挙をさけて役員を選出し、東京法曹会の代表を東弁の役員に送り込み、東弁の会務の運営に寄与することにあったようです。この当時の東京弁護士会の会長、副会長を争う選挙は熾烈を極めたようで、今となっては隔世の感があります。

 東京法曹会が誕生した昭和7、8年当時の世相は、政財界の腐敗を理由に、右翼と軍部が連携あるいは結合して要人の暗殺を計り、政党政治が崩壊し、既に成立していた治安維持法、暴力行為取締法により多くの検挙者がでて、弁護士の法廷活動にも影響を及ぼしつつあるという時代でした。捜査当局は、その権限を乱用して残忍な拷問を行い、全国的に人権蹂躙事件が多発して、弁護士自治の確保と弁護士の社会的使命が強く要請されていたということです。この当時の東弁には今日の会派に相当する29もの団体があり、これが選挙ごとに増加の一途をたどっており、選挙を複雑かつ熾烈なものにしていたのです。法律新聞は選挙のたびに金品の乱れ飛ぶ状態を評して「弁護士の品位から見て顰蹙すべき問題も少なくなかったようである」と記しております。その対策はまさに東弁にとっても重要問題であったようです。このような状況下において、昭和6年度と7年度の東弁の役員選挙に、いずれも中央会から副会長に立候補してその激烈な選挙を体験して当選した故斉藤富治先生、故千速賢正先生らが中心になられ、選挙の粛正と会務のために、上述の4つの中小会派をまとめられ、昭和8年3月30日施行された東弁の役員選挙に、初めて東京法曹会がその名を現わしたのです。

 東京法曹会の結成大会は昭和8年12月上旬、内幸町の大阪商船ビル地下にあったレインボーグリルで、和気藹々のもとで挙行されたとのことです。この昭和8年には、弁護士に対する監督権者が検事正から司法大臣に格上げされ、弁護士の職務範囲も現行のように拡張されるなどの内容による旧弁護士法の制定された年でもあり、東京法曹会は旧弁護士法とともに歩み始めたということになりました。

 このように、結成当時の目的は役員選挙における勝利という点にあったのですが、そのためには一人でも多くの会員を集める必要があり、夜の会合が盛んであったほか、浦安でのはぜ釣り大会など親睦にも力が入れられ、また当時から判例研究会を開いて勉学にいそしむということも行われていたようです。

 昭和10年頃に東京法曹会が始めた運動会は、その後親和会の運動会に発展し、更には法友会も加わることになり、現在の東弁大運動会へと発展しました。

 昭和18年には、幹事制がひかれることになり、会の運営について若手の意見が反映されるようになりました。この良き伝統は今日まで続いています。

 終戦後には、東京法曹会、二一会、大同会、同志部が結集して法曹親和会が結成されました。この時点では、法曹親和会が東京弁護士会における最大会派となったのですが、その後選挙のしこりなどが原因して同志部が法曹親和会を脱退し、後に法友会に移籍してしまったため、会員数のうえでは法曹親和会は法友会に遅れをとることになってしまいました。しかし、現在でも東京弁護士会においては法友会に次ぐ大勢力として大きな影響力を行使しています。

 そして、東京法曹会は法曹親和会内の最大会派としてその設立以来、日弁連、東弁に多数の有為な人材を送り込み、戦前、戦後の司法界に大きな足跡を残してきたのです。